01. 傘も差さずに
「イヌカシ、雨だ」
廃墟の壊れかけた窓の外を見ると、雨が降っていた。
「ん? ああ、雨だな。まさかお前さん、雨見るの初めてとか言わないよな」
「そんな訳ないだろ。イヌカシ、僕を何だと思ってるんだよ」
「天然のお坊ちゃん」
即答されるとそれはそれで悲しいが、西ブロックに来てから天然扱いされること が多くなった。
僕は窓の外を見る。
「犬たちは濡れないのか?」
「濡れたら商売にならない。建物のどっかで雨を避けてるだろうさ」
「そっか」
いつ見ても利口な犬だな、と思っていると、廃墟の外に子犬たちが駆け出したのが見えた。
水溜まりに向かって飛び込んだり降ってくる雨粒を食べようとしたりしている。
「イヌカシ、子犬たちが」
イヌカシに知らせると、窓から外を覗いて
「子犬共はいいさ。まだ客に貸し出したりはしないからな」
と笑って言った。
雨が本降りになり、ざーざーと音が激しくなってきた。
「あー……今日は濡れて帰らなきゃな」
止まなさそうな雰囲気の空に向かって呟いた。
「きっとお前さんの大好きな悪魔が迎えにくるぜ」
イヌカシが皮肉な笑顔で冗談混じりに言った。
「そこまで過保護じゃないよ。それに、ネズミは悪魔なんかじゃないよ」
「そう思ってる幸せ者はお前さんだけだな」
「力河さんもネズミのことを悪く言うけど、ネズミはそこまで酷い奴じゃないよ 」
「そんな言葉を聞くくらいなら俺は耳がない方が幸せだな」
耳を疑う、というようにイヌカシは耳を塞いでいる。
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
どうせ待ってても止まないだろうし。
半分濡れることを諦めて決意した。
「そうかい。片付け屋に襲われないようにな」
イヌカシの皮肉めいた忠告に目線だけで返事をし、紫苑は部屋を出て行った。
廃墟から一歩踏み出すと、でこぽこした地面に出来た水溜まりで足が濡れた。
紫苑は急いで帰らないと風邪を引くかもしれない、と思って走り出した。
廃墟を駆け抜けると、市場に出た。
いつもここでは沢山の声が飛び交っていて賑やかなのに、雨で人がいなくてとても静かだった。
前にここで泥棒に殺されかけ、女に誘われて、片付け屋に目をつけられた。
ある意味では良い人生経験をした大事な場所かもしれない。
紫苑は思い出しながら市場を抜けて、頼りない街灯しかないさっぱりとした場所を走る。
雨で前も見え辛く、最悪だ。
「わっ!」
殆ど前を見ずに走っていたせいで、人にぶつかった。
反動で後ろに転びそうになった僕の腕は力強い手に掴まれたおかげで転ばずに済んだ。
礼を言おうと顔を上げると傘を差したネズミがいた。
「驚いた。あんたか。イヌカシの所から走ってきたのか?」
声を出そうと思ったが、思い通りにでなかったので首を縦に振って肯定した。
「ご苦労なことだな」
「……仕方ないよ。これ以上待っても止みそうになかったんだから」
雨で張り付いた前髪を分けながら言った。
「取り敢えず家に帰ろう。あんたはすぐ風呂に入れ」
ネズミが紫苑の背を押して先を急かす。
「ネズミが優しいって珍しいこともあるもんだね」
笑いながら、紫苑はその手から伝わる体温を心地よく感じながら歩いていた。
「お坊ちゃんはすぐ風邪で倒れそうだからな。それに、俺には倒れたあんたを世話する暇もない」
「失礼だな。僕はそんなにやわじゃないよ」
ネズミがどうだか、と笑うと腕にも力が入ってまた体温が近付いた。 雨に濡れるのも、たまには良いと思った。
ネズミは偶然を装ったりしてると良いな、みたいなw
イヌカシの喋り方がまだ上手くできない……。
いや、全部だけど((笑